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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)2220号 判決 1977年3月31日

昭和四九年(ネ)第二二二〇号事件被控訴人

同年(ネ)第二二四一号事件控訴人

(第一審原告)

鈴木征津子

右訴訟代理人

柴山真一郎

昭和四九年(ネ)第二二二〇号事件控訴人

同年(ネ)第二二四一号事件被控訴人

(第一審被告)

宮腰建設興業株式会社

右代表者

宮腰栄治

昭和四九年(ネ)第二二二〇号事件控訴人

同年(ネ)第二二四一号事件被控訴人

(第一審被告)

宮腰栄治

右両名訴訟代理人

藤井瀧夫

主文

一  原判決中第一審原告の第一審被告宮腰建設興業株式会社に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。

1  第一審被告宮腰建設興業株式会社は第一審原告に対し、金四二五万九七八四円及びこれに対する昭和四五年三月六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審原告の第一審被告宮腰建設興業株式会社に対するその余の請求を棄却する。

二  第一審原告の第一審被告宮腰栄治に対する控訴を棄却する。

三  原判決中第一審被告宮腰栄治の敗訴部分を取消す。

第一審原告の第一審被告宮腰栄治に対する請求を棄却する。

四  第一審被告宮腰建設興業株式会社の控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じ、第一審原告と第一審被告宮腰建設興業株式会社との間においては、第一審原告に生じた費用の五分の一を第一審被告宮腰建設興業株式会社の負担とし、その余は各自の負担とし、第一審原告と第一審被告宮腰栄治との間においては全部第一審原告の負担とする。

六  この判決は第一項1に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因第1項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二本件京葉道路が中央分離帯によつて東京方面への上り専用二車線と千葉方面への下り専用二車線とに区分された自動車専用道路であること、訴外若狭が若狭車を運転して、松本車に追尾し、本件事故地点より東京方面寄りにある花輪インターチエンジで前記道路の東京方面への上り車線出口から同車線に誤つて進入し、そのまま同車線を下り方向に進行中宇田川車に衝突したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、以下の事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

1  前記道路は、上下線とも幅員各9.9メートルで幅各3.6メートルの二車線と左端に幅二メートルの予備車線が設けられ、最高速度は時速八〇キロメートルと定められており、本件事故地点付近は夜間の照明設備がなく暗いが、下り千葉方面に約五〇〇メートル、上り東京方面に約一キロメートルの間は直線であつて見通しはよいこと。

2  訴外若狭は前記のとおり松本車に追尾して上り車線に進入した後直ちに車両の流れ等から誤つて進入したことに気づいたが、そのまま漫然と時速四〇ないし五〇キロメートルの速度で中央分離帯寄りの車線を松本車に続いて(車間距離二五ないし三〇メートル)、前記インターチエンジから約三キロメートル進行したこと。

3  亡昌之は時速約九〇キロメートルの速度で上り車線の同じく中央分離帯寄り車線を進行していたが、逆行してくる松本車に気づき、ハンドルを左に切つてこれを避けたものの、左側ガードレールに衝突しそうになり、あわててハンドルを右に切つたところ、自車前部が松本車に続く若狭車の右前部に衝突するに至つたこと。

右認定事実によると、訴外若狭は前記上り車線に進入した直後、通行区分に違反していることに気づいたのであるから、直ちに停止して後退の措置をとり、上り車線を出るべきであつたのにこれを怠り、しかも対向車に対し何らの警告措置を講じることもなく漫然と進行を続け、その結果本件事故を惹起したものであり、同訴外人に本件事故発生につき過失があつたというべきことは明らかである。

もつとも、<証拠>によれば、亡昌之は松本車にかなり接近して初めてこれに気づき、約一六メートルの地点でハンドルを急激に左に切つて松本車を避けようとしたものであることが認められるところ、亡昌之にとつて自己の走行車線を逆行してくる車両があることは予想外のことであつたにしても、前方を十分注視しつつ制限速度を守つて走行していれば、夜間とはいえ本件事故地点付近は直線道路であつたのであるから、相当な余裕をもつて松本車らを発見し、この場合減速しつつハンドルを的確に操作し、徐々に進路を中央分離帯寄りの車線から左側の車線に変えることによつて本件事故を避けることも可能であつたと考えられるのであつて、この点において亡昌之にも過失があつたといわなければならない(なお、<証拠>によれば、亡昌之は本件事故直前前記のとおり制限速度を約一〇キロメートル超える速度で進行していたため、偶々前記道路を警ら中のパトカーに追尾されていたことが認められるが、同人がこれに気づきパトカーの追跡を逃れようと時速一〇〇キロメートルを超える速度で運転していたことを認むべき証拠はない。)。しかし、亡昌之に右のような過失が認められるからといつて、訴外若狭の前記過失と本件事故との間の相当因果関係の存在が否定されるものでないことはいうまでもない。

三そこで、第一審被告らの責任原因について検討する。

1  第一審被告会社が若狭車を所有していたこと、訴外若狭が第一審被告会社の従業員であつたこと、第一審被告宮腰が第一審被告会社の代表取締役であることはいずれも当事者間に争いがない。

2  ところで、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一)  第一審被告会社は秋田県能代市において建設業を営む従業員約五〇名(内運転手は約五名)の会社であるところ、秋田地方では冬期間本来の建設業の仕事が少ないため、同業者の訴外山村発太郎を介して千葉県香取郡大栄町所在の訴外第一資材株式会社香取営業所において土砂運搬作業に従事するダンプカーを運転手付きで募集していることを知り、昭和四五年一月一〇日頃従業員の訴外若狭を若狭車とともに右営業所に派遣したこと、右訴外会社は東京に本店をおき、右香取営業所を中心に土砂の採掘、運搬等の事業を行つていたが、昭和四四年一二月頃代表者の訴外塚本昭二郎が事業不振の責任をとつて業務から手を引いてからは、右会社に融資した金員の回収に苦慮していた訴外越川、同小川秀男及び右会社の取締役で前記営業所長であつた訴外駿河栄悦らが発起人(その代表者は訴外越川)となり、訴外越川を代表取締役とする千葉第一資材株式会社なる名称の新会社を設立して右営業所の営業一切を引継いでいくことを計画し、その準備を具体的に進めていたこと(なお、右新会社は本件事故発生直後の昭和四五年二月一二日設立登記を了した。)、このような状況において、右訴外越川らは、右新会社の設立手続が完了したときには新会社がそのままあとを引継ぐことを予定して、当面従来の第一資材株式会社の名で右営業所において成田空港その他への土砂運搬を行い収益をあげるべく、前記のとおりこれに従事する運転手付きダンプカーを募集し、これに応じて第一審被告会社から派遣された訴外若狭のほか、訴外松本ら数名がダンプカーとともに参集したこと、こうして訴外若狭は同年一月一一日から右営業所が他から請負つた土砂運搬作業に従事するに至り、同年二月六日訴外松本らとともに東京都内に土砂を運搬した帰途本件事故を惹起するに至つたものであること。

(二)  右のように訴外若狭が若狭車とともに土砂運搬作業に従事するにあたつての条件は、前記営業所側において宿舎、食事を用意し、訴外若狭が現実に運搬した土砂の量に一立方メートルあたりの単価を乗じた金額から宿舎代、食事代、ガソリン代を差引いた額を第一審被告会社に支払うこととされていたこと、第一審被告会社としては、訴外若狭に対し右作業に従事中も通常の給与(固定給)を支給するが、同訴外人に対する作業上の具体的指揮監督については、距離的に離れている関係もあつて、作業全般の実施主体である派遣先の右営業所側に一切を委ね、現に訴外若狭ら運転手に対する作業上の指揮監督は訴外駿河栄悦が主としてこれを行い、訴外若狭らはその指示のもとに、営業所で定める予定に従つて作業に専従していたものであり、第一審被告宮腰が訴外若狭に対し指示等を具体的に与えた事実はなかつたこと、しかしながら一方訴外若狭が右作業に従事すべき期間については明確なとりきめはなく、第一審被告会社としてはいつでも訴外若狭を若狭車とともに右営業所から引上げることも可能であつたこと。

以上のとおり認められる。証拠によると、第一審被告宮腰は昭和四五年一月二〇日過ぎ頃、訴外若狭の稼働状況の視察とあいさつを兼ねて前記営業所を訪れ、訴外若狭から作業の様子をきき、営業所側に夜間作業の中止方等を要望していることが認められるが、右は雇用主として従業員の労働条件の改善を派遣先に申し入れたものであつて、これをもつて第一審被告宮腰が訴外若狭に対し作業上の具体的指揮監督を行つたものとみるのは相当でないというべきであり、他に前記(一)、(二)の認定を左右するに足りる証拠はない。

3  右に認定したところによれば、前記営業所における土砂運搬作業(その法律上の主体を、訴外第一資材株式会社とみるか、設立中の会社たる訴外千葉第一資材の発起人らとみるべきかについては、以下の判断に影響がないので、こここでは立ち入らないこととする。)に関する限り、訴外若狭に対する具体的、直接的な指揮監督は右営業所側に委ねられ、第一審被告会社としてはこれをなすべき立場になかつたものであり、したがつて右営業所側が若狭車に対する直接的な運行支配を有していたことは明らかであるが、一方第一審被告会社は、前叙のとおりその営業上の目的から若狭車を派遣し、これを運転する訴外若狭に対し雇用主として身分上の監督権を有し、いつでも若狭車を右営業所から引上げることの可能な立場にあつたことを考えると、第一審被告会社もまた訴外若狭を通じて若狭車の運行を支配していたものとみるべきであり、第一審被告会社において若狭車の運行による利益を享受していたことはいうまでもないから、右のように本件事故当時訴外若狭を具体的、直接的に指揮監督すべき立場になかつたからといつて、若狭車の所有者である第一審被告会社が自賠法三条の運行供用者としての地位を失つていたものとは到底解しえないといわなければならない。

一方第一審被告宮腰の代理監督者責任の有無について考えるに、右2に認定したところからすれば、訴外若狭が本件事故当時従事していた前記運搬作業が第一審被告会社の事業の執行としての一面を有していたことは明らかであるから、右作業中に訴外若狭の惹起した本件事故につき第一審被告会社は使用者としての責任を免れない筋合いであるが、この場合、第一審被告宮腰に民法七一五条二項による代理監督者責任を問うには、第一審被告宮腰が第一審被告会社の代表者の地位にあるというだけでは足りず、作業の遂行に関し現実的、具体的に訴外若狭を指揮監督すべき立場にあつたことを要するものと解すべきところ、前記営業所における作業に関する限り第一審被告宮腰がそのような立場になかつたことは先に認定したとおりであるから、本件において第一審被告宮腰に代理監督者としての責任を負わせることはできないというべきである。

四そこで、以下第一審被告会社との関係で第一審原告主張の損害について判断する。<以下、省略>

(横山長 三井哲夫 河本誠之)

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